手紙

 昨夜から降り続く雨で、まだ少しだけ残っていた桃の花は全てその淡い色の弁を散らしてしまい、裸にされたか細い幹だけがただ雨風に晒されるままにその細い枝を窮屈そうに揺らしている。
 そんな嵐の只中、色褪せた花の弁に覆われた濡れた道をセイロンは足早に宿舎に向けて駆けていた。
 宿舎・・・奴隷兵士達が束の間その身を休めるために建てられたこの古ぼけた簡素な建物にセイロンは身を寄せているのだ。
 ここに来てからどれくらい経つのだろうか。
 それすらもうわからなくなってしまったが、相変わらずこの建物の空気になじむことができぬ。
 ふん、と小さく鼻を鳴らすと、セイロンは宿舎を見上げた。
 もう夜も更けているというのに、まだ一つだけ灯りが点る窓が一つ。
 狭い宿舎の一番端の角部屋・・・セイロンが暮らす部屋だった。
 そこに灯りがともっていると言うことは、もう一人の住人がまだ眠りについていないことを示していた。
 セイロンはそれを確認すると大きな音を立てないように静かに引き戸を閉め、宿舎に入っていった。
 「まだ起きてたんだね。」
 部屋に入って外套を脱ぎながらセイロンは窓辺に立って外の様子をうかがっていたもう一人の住人に話しかけた。
 その声を聞いてもう一人の住人は・・・セイロンよりもまだ年若い色白の少女はハッとしたように彼女の方を振り返る。
 ・・・その表情はどこか寂しげだ。
 「お帰りなさいませ。」
 だがセイロンの顔を見ると我に返ったように恭しく会釈をして見せた。
 「どうしたの、こんな時間まで起きてるなんて、あんたにしては珍しいね?」
 セイロンに言われると、少女は小さく笑って見せた。

 少女の名はリョウカと言った。
 元はコウエンの貧民の娘であったが、流れ流れてセイロンの家に引き取られ、以来片時もセイロンの側を離れず奉公を続けてきた娘であった。
 「少し考え事をしていました。」
 言うと再びリョウカはセイロンから背を向けて、窓の外の嵐の情景に視線を傾けた。
 「あの子のこと?」
 セイロンが問うとリョウカは静かにうなずいた。

 リョウカには友がいたのだという。腹の底から全てを話し合える、大切な友が。
 だが二人は今は遠く隔てられ、リョウカはセイロンと共にジョウアンに連行され、その娘はコウエンの帝に仕官しているという。
 その話をセイロンはリョウカと共にジョウアンへ連行される船の中で聞いた。

 「会いには行けないのかい?」
 「はい・・・今はジョウアンとコウエンの間は行き来が制限されていますから。」
 セイロンの方を見もせずに、リョウカが小さな声で返す。
 「それに・・・きっと会ってもひどいことを言ってしまいそうだから。」
 続ける声はやはり寂しげだった。
 「いいんです、きっともうあの子は私のことなど覚えていないでしょうから。
 あの子にはあの子のやることがあります。」
 ・・・恵まれた環境にある友に対する複雑な感情があったのは、セイロンにもわかっていた。
 だがこのところは特にそのことで悩んでいるリョウカを放っておけないセイロンである。
 「どうしてそんなこと言うんだよ、友達なら・・・」
 「前に一度だけ・・・」
 セイロンの言葉を、リョウカは静かに、だけど強い口調で遮った。
 「一度だけコウエンに赴く機会があって、私はこっそりあの子の様子を見に行きました。」
 相変わらずリョウカはセイロンの方を向かぬ。
 ただその口調からこちらを向かぬリョウカの気持ちをセイロンは無言のうちに察した。
 「あの子は私と違って明るくていい子だから・・・どこへ行ってもうまくやっていけるんです。
 凄く幸せそうでした・・・前と何一つ変わらずに笑ってた。」
 一息おいて、リョウカは一瞬うつむくと、
 「あの子にはもう私は必要ないんです。
 私が入ってしまうと、あの子の幸せを傷つけてしまうように思うんです。だから・・・」
 抑揚のない声で続けた。

 ・・・沈黙。

 「でも・・・」
 一歩、セイロンがリョウカに踏み寄る。
 「昔と変わっていないなら、きっとその子があんたに寄せる気持ちも、変わらないよ。」
 セイロンの言葉に、リョウカはハッとして振り返る。
 その瞳はやはりセイロンの察したとおり、少しだけ濡れていた。
 「でも・・・正直に言うと・・・少し怖いんです。会ってもきっと本当のことを話せそうにもないし・・・」
 「それなら!」
 セイロンがリョウカの手を引き、机の前まで引っ張る。
 「手紙にしたためればいいんだよ。昔父様が言ってた、言葉にできないことでも手紙なら伝えられるって。
なにも気持ちを使えるのは声だけじゃないんだよ!」
 「でも・・・」
 「あんたが気持ちを伝えないと、相手にわかってもらえないんだよ。勇気を出さなきゃ。」
 リョウカはうつむいた。
 「でも、素直に伝えられるかどうか・・・」
 とまどい気味のリョウカの肩にセイロンはそっと手を載せた。
 「少しずつでもいいんだよ。失敗したらまた書き直せばいい。口に出して言う言葉はやり直しがきかないけど、文字なら何度でも書き直しができるじゃないか。」
 「文字なら・・・」
 一瞬考え込むようなそぶりを見せたリョウカだったが・・・
 「はい。どんな風に書けるかわからないけど・・・やってみます。」
 初めてセイロンに笑って見せた。


 それから少しして、ジョウアンの帝がフウキョウの兵に倒されたと聞いた。
 ・・・だがそんなことは主を選ばぬ彼女たちにとってはどうでも良い話であった。
 奴隷兵士とは捨て駒のようなもので、主を選ばずただ命令に従って戦うだけの消耗品に過ぎないのだから。
 だが、乱世の終わりは同時に彼女たちの解放を意味していた。
 奴隷兵士の制度はジョウアンの次なる指導者・ナユタという女の政策で廃止になるからだ。
 それに伴い晴れてセイロンもリョウカも、かびくさい宿舎から解放され、ジョウアンの田舎町の下宿でコウエン行きの切符がとれるまで滞在していた。
 そして長い間滞っていたリョウカの手紙も、もうじき完成しようとしていた。

 「どう、あれから進んでる?」
 ある晴れた朝、セイロンは机の前で筆を執っているリョウカに話しかけた。
 リョウカはまるで花のように可憐な・・・前までの彼女なら見ることもできないような笑顔で・・・セイロンに微笑み返した。
 「もうじき完成しそうなんです。わたし、今まで手紙なんて書いたこと無かったから・・・初めてだから、随分時間も掛かってしまったけど、これならあの子もきっと読んでくれるんじゃないかって・・・」
 いつもとは違う明るいリョウカの笑顔に、セイロンは優しく微笑み返した。
 「もうじき切符もとれる。それまでに完成すると良いね。」
 「はい。」
 答える笑顔もまた、朝の風に揺れる花のようにまぶしかった。

 しかし、それから待っても、切符が彼女たちの元に届くことはなかった。
 なんでも正確な身分のわからない人間を船に乗せることはできないという通達があったらしい。
 乱世によってあぶれた貧民が海外で犯罪を犯さないための処置であったそうだが・・・
 それにいらだっていたのはセイロンであった。
 元はコウエンの上流階級の娘であったセイロンからしてみれば誇りを傷つけられる問題である。
 そんなセイロンを気遣うリョウカの筆の進みが鈍るのは必至で、完成を間近に控えたリョウカの手紙はそれから筆が加えられることは二度となかった。

 そうしているうちに、時代は再び乱世を迎えようとしていた。
 フウキョウの帝が廃位され、執政が自ら帝を名乗り軍を起こしたというのだ。
 当然先帝と縁深きコウエンはフウキョウと敵対し、再び世に暗い影を落としたのである。
 それをリョウカは下宿の女将から聞いた。
 その所為だろうか。リョウカの心に忘れかけていた感情が芽生え始めたのは。

 「キビに会いたい・・・」
 その思いが再び彼女の中で頭をもたげてきたのである。
 

 その晩リョウカは机の引き出しにしまい込んでいた友への手紙をもう一度取り出して読み返していた。
 ・・・今まで手紙を書くような者が誰一人いなかった、手紙をくれる者も、貰ってくれる者もいなかったリョウカが初めて心をしたためた手紙・・・
 それを読み直すと、リョウカは再び筆を執って、新しい便せんにその内容や、己の今の状況を、気持ちを改めて手紙につづった。
 セイロンは夜だというのに留守であったが、だからこそ彼女の筆は一点の濁りもなく、今の心を紙面に刻み込んでいく。
 何度も間違えた。
 だがそのたびに何度も書き直して、リョウカは手紙を書き続けた。
 今までの時間を埋めるように。
 自らの心に開いた穴を埋めるように。
 そして・・・

 「できた!」
 明け方、まぶしい朝日が差し込む部屋の中、リョウカは自分でも信じられないくらい明るく大きな声を上げた。
 遂に全ての思いを手紙にしたため終えたのだ。
 ・・・ずっと言えずにいた、大切な友への思いをこめた人生最初の手紙が今、完成したのだ。
 そして・・・このことを一刻も早くセイロンに知らせたかった。
 最近はずっと仕官先を探してささくれていたセイロンである。
 きっと自分が何かを成し遂げたことを聞いたら、自信を取り戻してくれるだろう。
 彼女にしては珍しく、居ても立ってもいられずに、リョウカはセイロンを探そうと戸に向かって駆けだそうとした。
 そのとき・・・
 「リョウカ!」
 まるで申し合わせたかのように、今度はセイロンが部屋の戸を開けて部屋に駆け込んできた。
 その顔もリョウカに負けぬほどに輝いていた。
 「セイロン様、聞いてください、私・・・」
 うれしくて、リョウカはセイロンに駆け寄った。
 ・・・と、その声も聞こえぬ様子で、セイロンはリョウカの手を握った。

 「聞いてリョウカ。仕官先が決まったんだ!フウキョウの今の帝があたし達の力を認めてくださったんだ!これでもう惨めな思いをしないですむよ、あたし達は認められたんだ!!」

 リョウカの顔から、笑顔が消えた。
 フウキョウ・・・コウエンとは敵対国であった。
 

 結局言い出せなかった。
 今まで認められることだけの為に生きてきたセイロンの夢を壊すことはできなかったから。
 出航は既に明日と決まっていた。
 この古ぼけた下宿から今夜中にも荷物をまとめて出て行かねばならぬ。
 そんなことを考えながら気が付けばリョウカの足は宿の近くの浜辺に向かっていた。
 もうすぐ日が暮れる。
 その様をただぼんやりと眺めているリョウカの手には、今朝できあがったばかりのあの手紙が握られていた。
 不意にそれに目を落とす。
 苦心しながら、やっとの思いでしたためた、生まれて初めて書いた手紙だった。
 だが、今となってはこの手紙は二度と友の手に渡ることはない。
 そう思うと、手が震えた。
 悔しかった。心底から・・・
 そして・・・

 リョウカの手から、破り捨てられた手紙がまるで風に吹かれた雁の羽のように、夏の風に吹かれて海へと散っていく。
 紙の白が紅の地平の朱を映し込んでまるで風に舞う朱色の花びらのようだった。
 ただ、リョウカの目にはもうその様子は映ってはいない。
 リョウカの目は、固く固く閉じられていたから。
 今目を開ければきっと涙が止まらなくなってしまうから・・・
 やがて全ての言葉の片鱗を風が連れ去ったあと、リョウカは静かに浜から背を向けて、二度と戻っては来なかった。


 リョウカの去った海の波の間に間に、朱を映した白い言葉の片鱗が浮かぶ。

 



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今までずっと言えずにいたけど・・・キビはいつか言ってくれたよね。

私のこと、大好きだよって。

私もキビのこと、大好きだよ。

きっとまたいつか、一緒に遊ぼうね。


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終劇






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