Berceuse
〜光無き森の歌姫〜


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神よ その者を癒し給え

心なき者と戦い傷ついた その者の身を 魂を

その御身より差す 聖なる光で

飢える者達を 乾く者達を救い給え

地は荒れ 木々は枯れ

海は乾き 空が落ちるとき

神よ 我らを救い給え

その御身より射す聖なる光で 我らを導き給え

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 「ねぇ、おかあさん、そのうたどこでおしえてもらったの?」
 暖かな午後の光を受けて輝く、紅玉のような澄んだ瞳が母を見上げた。
 柔らかい母の膝の上で聞く子守唄はベルの大好きな歌だった。
 「この歌はね、お母さんのお母さん・・・あなたのおばあちゃんが教えてくれた歌なのよ。
 おばあちゃんはそのお母さんに、おばあちゃんのお母さんはそのまたおかあさんに・・・
 ずっと昔から伝わってきた歌なの」
 細面に優しげな笑みを映して母は言った。
 「ベルはもうこの歌、歌える?」
 「うん、みんなおぼえたよ」
 母の問いに笑みを返し、ベルはまだ舌足らずな幼い声で母をまねて歌を歌い出す。
 午後の琥珀色の光線に彩られた静かな空間に、幼い歌声が楽しげに踊った。


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 「なぁ、あの娘はまだか?
 もうむさ苦しいゴブリンの漫才なんてどうでもいい、あんなもんすっ飛ばしちまえ!
 俺はあの娘の歌を聴きに来たんだ!」
 見世物小屋の薄暗いホールにけたたましい男の怒声が響く。
 見れば幕を引いたステージの前で一人の男が支配人らしき小太りの中年に向かってわめき散らしているではないか。
 男はおそらく四十代半ば。痩せぎすで薄汚れた服を着ており、頬はこけ、目は落ちくぼみ、大声でわめいたかと思うと時々ゴホゴホと乾いた咳をしていた。
 「お客さん、困ります。プログラムじゃあの娘はこの次のハーピーの唄の次なんだ。他のお客さんもいるんで静かにして頂けませんかね?」
 額から流れる汗をぬぐいながら、小太りの支配人は上目遣いで男をなだめる。
 だが・・・
 「ふざけるな!あの娘に会わせろ、今すぐ会わせろ!
 さもないとこのボロ小屋に火ぃ付けてやるぞ!」
 文字通り火が付いたような剣幕だ。
 男は支配人の胸ぐらをつかむと鼻と鼻とが触れ合わんばかりにそのやせこけた顔を支配人の脂ぎった顔につきあわせた。
 支配人の丸い脂ぎった顔に一筋冷や汗が走る。
 ・・・ややあって・・・
 「わかりました」
 支配人はまっすぐな目で男を見た。
 「控え室へどうぞ、娘はそこにいます」
 男の腕に手をかけ、手を離すように促しながら支配人は低い声で言った。
 「ほ、本当か?」
 先程の態度とは打って変わって痩せぎすの男の顔に笑みが輝く。
 「ええ、ええ。さ、他のお客に気づかれてはまずい、どうぞこちらへ」
 言って支配人は舞台袖の暗幕のかかった入り口まで男を招き寄せた。

 男が通されたのは薄暗い小部屋だった。
 なるほど、控え室と言うだけあって舞台のセットや小道具、衣装などが無造作に置かれている。
 だが、乾いたほこりっぽい空気が充満したその部屋に、その「娘」の姿は見あたらない。
 男はいぶかしげに部屋の奥まで踏み行った。
 ・・・刹那、背後で鍵が閉まる音がした。
 「おい、娘はどこだ?ここにいるんじゃ・・・」
 男の言葉を受けて支配人は鼻で笑った。
 「ふん、馬鹿言ってんじゃねぇ」
 うろたえる男に、先程とは打って変わって冷淡な態度で支配人は吐き捨てた。
 その目はまるで道ばたにうち捨てられた汚物でも見るかのような目だ。
 「おまえみたいな浮浪者をいちいち相手してるほどうちもヒマじゃねぇんだよ。ったく、商売の邪魔しやがって」
 わざわざ迷惑そうに顔を歪めて支配人はせせら笑った。
 「・・・貴様!」
 思わず男は近くにあった小道具とおぼしき棒きれを手に取った。
 「チッ、乞食の分際で・・・おい!」
 舌打ちすると支配人は部屋のさらに奥にある開け放たれた灯りの付いていないドアに向かって叫んだ。
 刹那、支配人の呼びかけに応じて、部屋の奥から真っ黒な影がゆっくりと現れた。
 ・・・男が息を飲む。
 「オーナー、何のご用でしょう?」
 現れたのは、まさに身の丈八尺の巨大な牛男だった。
 血管が浮き出すほどに膨張した丸太のような腕、紅色にぎらぎらと輝く目、耳まで裂けた口からはみ出す白い杭のような鋭い牙がその者の凶暴さを物語っている。
 「商売を邪魔するうるせぇハエだ。適当に痛めつけてそのへんにうっちゃっとけ」
 「はい」
 言い残すと支配人は蝶ネクタイを締め直し、男を一瞥すると部屋から出て行った。
 ・・・重苦しい空気が埃っぽい部屋中を満たす。
 「何をしでかしたかは知らないが、こっちも仕事なんだ。悪く思うなよ」
 低い声で牛男がこぼす。
 「・・・く、くそ!」
 追い詰められ、男はとっさに手にした棒きれを牛男に向かって振り下ろした・・・かのように見えた。
 刹那、男の視界は白く瞬き、そして途切れた。

 

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 「悪いことは言わない、もうここには来ない方が良いぞ」
 牛男はそう言ったような気がした。
 気がしただけで本当のところはどうなのか男にはわからない。
 ただ次の瞬間高いところから地に叩きつけられる重い痛みと、ひんやりとした草の感覚がやせた体の芯にしみてきたのがわかった。
 どうやらあの牛男に一撃食らわされて外に放り出されたらしい。
 背後にあるはずの見世物小屋から客の喝采が聞こえた気がしたが、男が体を投げ出した大地は静かで冷たい。冷たい夜風が男の目の前に茂る芝草を揺らした。
 ・・・男は落胆した。
 先程購入した「見世物」のチケットで、全財産は使い果たしてしまっていた。行く当てはもちろん、ない。
 絶望感にうちひしがれて、立ち上がることも出来ない。
 足があっても立ち上がる力がない、歯があっても食いしばる気力がない、手があっても起き上がる元気がない。
 耳に入るのは風の音だけ・・・


 風の音、だけ?


 かすかに男の耳が風に混じる音を聞き取った。
 それは、足音だ。
 さくり、さくりと草を踏む、長靴でも、サンダルでもない、柔らかな足音。
 ゆっくり首だけ巡らせて、男は足音の方を見た。
 
 ・・・男は一瞬、息をするのを忘れた。
 逆さの視界に彼女は映っていた。
 焦がれ、夢にまで見た彼女の姿が映っていた。
 やがて彼女は早足に男の元まで駆け寄ると、ゆっくりと優しいしぐさで彼を抱き起こした。
  「だいじょうぶですか?」
 見世物小屋から漏れる灯りを映す彼女の目はまるで紅玉のよう。
 風になびくその髪は白銀を紡いで作った糸のよう。
 人ならざるその姿はしかし、人ならざるが故の愛らしさをたたえていた。
 逆向く視界とは裏腹に、彼は彼女の姿から目を離すことが出来なかった。
 「君は・・・」
 刹那、男は苦しげに乾いた咳をした。
 「無理をしないで!」
 彼女は男を制止すると辺りを見回し、近くにあった木陰までなんとか彼を引きずるようにして連れて行き、その体をしなやかな木の幹に預けた。
 「君は・・・」
 もう一度、男が彼女の目を見てささやく。
 彼女はかすかに口元に優しい笑みを浮かべ、
 「あたしはベル。この見世物小屋で歌を歌ってるの」
 歌うような優しい声で答えた。

 
 「ごめんなさい、オーナーにやられたんですね。あの人は平気で人を傷つけるから・・・」
 濡れた布で男の泥と血で汚れた顔をぬぐいながら、ベルは悲しそうな顔をして言った。
 ベルの様子とは裏腹に男はそれを黙ってみていた。
 そして、やはり俺が思ったとおりの優しい娘だ、と目を細めた。
 「でもどうしてこんなことに・・・いくらなんでもこんな仕打ち、ひどすぎる」
 「俺が悪いんだ」
 うつむくベルに男は慌てて明かした。
 「君の歌が・・・聞きたくて・・・つい」
 「あたしの歌を?」
 ベルが驚き、紅玉の瞳を見開く。
 男は申し訳なさそうに頷いた。
 「ああ・・・どうしても・・・どうしてももう一度、君の歌を聴きたくて・・・」
 男の横顔に深い影が落ちる。
 「半月くらい前に初めて聞いたんだ、君の歌を・・・」
 男はまっすぐに前を見たまま言った。
 冷たい夜風が男の前髪を揺らした。
 


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 政令が発布される前、男はある石切工場の工場長だった。
 工場には腕力に自信を持った魔族達が働いており、力仕事に精を出していた。
 人間よりも作業効率の良い魔族達のおかげで仕事は軌道に乗り、男は贅沢な暮らしを満喫していた。
 だが、政令が発布されたことにより魔族達が辺境へ流出すると、生産性は一気に下落。それまでの稼ぎと生活を維持させることが出来ずに瞬く間に男の事業は傾いた。
 事業が傾くと彼の家内は子供達を連れて家を出て行き、彼は借金に追われる生活を余儀なくされた。
 しかし災難はそれだけでは終わらない。
 劣悪な環境下で慣れない過酷な重労働をして生活していた男の体はいつしか病に蝕まれ、やがては薬を買うことさえままならなくなっていった。


 「そんなときだったんだ、君の歌を聴いたのは」
 男はベルの方を見もせずにつぶやくように言った。
 その口調は、どこか自分に言い聞かせるような風情だ。
 「死ぬつもりでふらりと迷い込んだ森の中で・・・見世物小屋から君の歌声が聞こえてきたんだ。
 君の歌を聞くと力が体中からわいてきてね、空腹も不安も体の不調も何もかもが吹っ飛んだんだ。
 ああ、あれは天使の歌声なんだと思ったよ。
 そのあと幸運に恵まれた俺は何とか持ち直して、日雇いの仕事に就くことが出来た。
 ある意味今までの人生で最大のラッキーだったよ」
 男の落ちくぼんだ眼窩で目だけが生気を帯びてきらめいている。
 普通ならば目を背けたくなるような惨めな姿の男の話を、ベルは耳をすまして一言一句に気持ちを傾けた。
 「でも・・・それもはじめの三日だけ。やっぱり現実は追いかけてくる。
 病が治るわけでもないし、腹がふくらむわけでもない。
 結局この体のせいでその仕事もダメになってね、乞食暮らしに逆戻りさ。
 最後に君の歌を聴いて死のうと思ったがこの有様。もう金はびた一文持ってないし、チケットもさっき失った。
 俺にはもう何もない・・・最期に君に会えただけでも―――」
 「最期なんて言わないで」
 男の言葉を遮って、ベルが声を上げた。
 さっきまで黙って耳をそばだてていたベルの声に男はびくりと体を震わせた。
 「簡単に諦めないで。あなたにはまだ歩くための足がある。
 起き上がるための手もある。
 人の声を聞くことの出来る耳だってある。
 だからあきらめちゃだめ。生きている限り必ず光が差す日は来るよ」
 「でも・・・」
 男は少しいらだった表情でベルを見上げた。・・・飢えと絶望で乾いた目だ。
 「もうこの体じゃ稼ぐに稼げない、薬を買うどころかメシにだってありつけない。
 働こうにも体が動かない。どうしたら・・・」
 「任せて!」
 ぽん、と男の肩をたたいてベルは笑って見せた。
 日頃なら男は取り合わないだろう。だが男はベルの目に・・・紅玉色の瞳の奥に何かを見たような気がしてそれ以上言及できない。
 ベルは立ち上がって男に向き直った。
 「大丈夫、あなたは絶対助かる。絶対幸せになれる。
 今はそれを邪魔するものがあるから前が見えないだけ。
 だから少しだけ、あたしの唄を聴いて」
 ベルは大きく息をつくと目を閉じた。


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 「ベル!」
 背後から呼ぶ声がして、ベルは振り返った。
 先程男を痛めつけた牛男がそこにいた。・・・ダドリーだ。
 「・・・今のオッサン、すごい勢いで走っていったな。まるで別人みたいだったじゃないか」
 多くは語らない。だがベルは笑って見せた。
 「例の唄か?」
 ベルは黙ってうなずいた。
 「ダドリー、きっと辛いのはあたし達だけじゃないんだよ。
 人間だって一緒。みんながみんな、オーナーみたいな人たちじゃない。
 大好きな人や、いつも一緒にいた人と離れる寂しさは、あたし達だけのものじゃない」
 それ以上ベルは何も言わなかった。
 ただ先の男が・・・息を吹き返した一人の男が往った先を静かに見つめていた。
 ・・・刹那
 「おい、ベル!どこにいやがる、出番だ、さっさとしやがれこのノロマめ!」
 オーナーの怒声が小屋から聞こえてきた。
 「いけない!はい、今行きます」
 ベルは客の待つステージへと早足に戻っていった。
 夜風が、乾いた芝草を揺らした。


 「皆様お待たせ致しました、お次は当館自慢の歌姫・ベルスーズの歌謡ショーです!」
 先程のふてぶてしさはどこへやら、陽気なオーナーの声が狭いホールにこだまする。
 それを合図に重々しい紅色の幕が上がる。
 ベルはステージの袖からいつものように舞台へ歩み出すと、満員の観客に一礼した。
 向けられる喝采と無数の観客の視線。
 好奇、侮蔑、そして、言葉に出来ぬ何か・・・その全てをベルは紅玉の瞳に受け止める。
 やがて好奇の視線と沈黙がホールを包み、ベルは瞳を閉じた。
 奇妙な熱気に満ちた、暗く静かなホールにベルの澄んだ歌声が踊る。好奇、侮蔑、何かを求めるあてどない欲望・・・全てを受け止めて。
 受け止めて、まるで答えるようにベルは歌う。
 今日も、明日も、その次の日も、きっと。
 やがていつかこのホールを埋め尽くす観客達に、先に生き直し新たな道を駆けていったあの男に、同じ不遇を託つ仲間達に、そして自分に、等しく「光」が降り注ぐことを信じて。





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fin