ある男と墓守の話

その日、僕は真夜中の人気の少ない田舎道を車で飛ばし、一路墓地を目指していた。
空は雲に覆われ、その隙間から息苦しそうに月が見え隠れする。
秋の夜風が木々の葉を揺らし、まるで手招きをしているようだった。
その森の懐、全ての物を飲み込んでしまうような夜の闇に包まれた森の中にその墓地はあった。
(・・・ここか・・・。)
そこが墓地であると確認すると、僕はさっきホームセンターで買ってきたばかりのロープをトランクから下ろして、鞄の中に忍ばせていた白い封筒を持って車を降りた。
・・・カギは閉めなかった。
盗まれて困るような物は何も入っていなかったし、もはやこの車を含めた全ての物に未練はなかった。

こんな夜中に何をしにこんな墓地へと人は聞くだろう。
正直、僕は今日、今、この瞬間、人生に別れを告げるべくここへやってきたのだ。

僕は昨日、恋人に振られた。
結婚の約束までしていた女だった。
そして二ヶ月前、交通事故を起こして借金を抱え込んだ。
さらにその三ヶ月前に、会社をクビになっていた。
この世に絶望し、何もかもが嫌になるには充分すぎるほどの要素が今の僕にはあったのだ。
それで、せっかく死ぬなら同じ死体しかいない、この静かな墓地でこのちっぽけな人生を終えようと思ったというわけだ。

墓は皆崩れ去りそうなほどに老朽化していて、中には朽ち果てて名前も読めない十字架や、すでに墓標を失って盛られた土と化した墓まであった。

(ここに眠るモノ達のように、僕もまた忘れ去られ、虚しく土に帰っていくのか。)
僕は静かに自分の宿命を悟った。
灯りがほとんどない暗い、暗い墓地の奧にある、陰気に曲がった枝をまるで背を曲げるように振りかぶったまま立ち枯れた木に僕はロープを結んだ。
その先にわっかを作り、首を通す。
足下に遺書を置き、後は台を蹴ってこの世からおさらばするだけだ。

(さらば、我が人生。)
僕は息を吸い込んだ。
思えば本当にちっぽけな人生だった。
夢や希望らしいことは、振り返った僕の人生には存在しなかった。

早く終わらせよう。

僕は台を蹴ろうと少し体を浮かせた。
と・・・
「やめろ。」
後ろから、声が聞こえた。
地を這うような、ぞっとするほど低い声だ。
「!?」
ビックリして僕は足を滑らせ、台を倒してしまった。
「う、うわ、苦しい!助けて!!」
僕が暴れれば暴れるほど、強く強く首のロープが食い込む。
息が苦しい。
意識が朦朧とする。
僕は本気で死を覚悟した。
と・・・。

バシン!!

僕の頭上で大きな音がした。
「わあぁ!!」
その瞬間、僕の体は重力から解き放たれ、まもなく全体重をかけて冷たい墓地の土の上に落ちた。
・・・木の枝が重みに耐えかねて折れたようだ。
「いててて・・・」
背後で足音がした。
頭を掻く僕に何かが忍び寄る。
「誰だ!」 
僕は足音の方を振り返った。
「・・・だからよせと言ったのに・・・。」
闇の中から再びあの、地を這うような低い声が聞こえてきた。
さらに僕の視界にぼうっと、黄色味がかった灯りが映る。
「お、おばけ!」
僕は年甲斐もなく大手をあげてひっくり返った。
「失礼な、死に損ないが何をえらそうに言う。」
声の主は・・・その辺りを照らす照明の主がゆっくりと姿を現す。
それは背の曲がった、目つきの悪い老人だった。
「あ、あなたは?」
僕が問うと老人はまるでなめるように僕を見た。
「わしはこの墓の墓守だ。
ここで死ぬことは許さん。
ここは聖者の墓場だ、お前のようなちっぽけな人間が葬られるような場所ではない。」
老人はまた上目遣いにじろりと僕を見た。
僕は腹が立った。
自分で自分のことをちっぽけと思うのは自由だろうけど、この、少なくとも今この瞬間までは見ず知らずだった老人にバカにされたことに腹が立ったのだ。
「何だよ、僕が何処で死のうとかってだろう?
第一なんだよ、聖者の墓場って!」
老人はまたジロリと僕を見た。
「お前が今踏み台にしていた墓を見てみろ。
その墓はかつての偉大な科学者の墓だ。
彼は病に苦しむ人々を助けるために新薬の開発をしていて、その際に事故で死んだ。」
言われて、僕は自分の足下を顧みた。
すでに壊れかけた墓石が、そこに転がっている。
「今お前が首をつろうとしたその木は、ある勇敢な樵の墓標だ。
この者は貧しい人々に自分の切った木を分け与え、ある日木に登って降りられなくなった子供を助けようとして、木を切り、その下敷きになって死んだ。」
振り返って木を見た。
枝の折れた老木がそこにあった。
「もうわかっただろう、ここは人々のために生きて死んだ、偉大な聖者達が眠る墓場なのだ。
お前のような自分のことしか考えないような奴を眠らせてやる様な場所はない。
死ぬのは止めない、だが、ここにお前が眠る場所はないと思え。」
言って老人は闇に消えていった。

・・・僕は一人取り残された。


あれから僕は一人家に帰って思った。
墓守の話してくれた聖者達の物語を・・・。
あそこに眠る者達は死してなお、輝きを失わない者達だった。
おかしな話だが、僕は生きていながら土の下に眠る彼等に憧れを抱いた。
そして、彼等をそっと見守るあの墓守の老人に、僕はさらなる憧れを抱いたのだ。

次の晩、僕はもう一度、老人が守る墓地へ向かった。

やはり同じように老人は背を丸めて墓場の見回りをしていた。と、僕の存在に気付いたらしい。
「また死にに来たのか?」
老人がジロリと僕をにらみつける。
「違うんです。
おじいさん、僕にもっとこの墓場に眠る聖者達について教えてくれませんか?」
老人は静かに頷くと、この墓に眠る聖者達について語り始めた。
そして・・・
「おじいさん。僕もここに眠る聖者になれるだろうか?」
僕はつい興奮して老人に思いを打ち明けた。
老人が僕を見上げる。
あの、ジロリとした目つきではない、穏やかな目で。
「それはお前のがんばり次第だ。
ここにいる者達は何も古代の英雄だけではない、
ただ人々の心に深く刻み込まれるような、偉業を成し遂げた者達が眠っているのだ。」
僕の胸の中の霧が、晴れた。

それから僕は嫌なことがあると、この墓地を訪れた。
訪れて、老人に話を聞いた。
すでに朽ちた十字架の下に眠るのは、不治の病の恋人に為に、歌を歌い続け、恋人が死ぬ前に自分が病で亡くなった詩人の墓。

やがて僕は嬉しいことがあると、老人に会いに墓を訪れるようになった。

それから一ヶ月して、僕は新しい仕事に就いた。
その時にも僕は老人から話を聞いた。
すでに墓標を失った、盛り土の下に眠るのは、
王を守って自ら矢に射られた騎士の墓。

さらに半年後、僕は借金を全て返済した。
その時にも老人から話を聞いた。
小さな十字架が立っているのは、亡き娘を重ねて、身よりのない子供達を支え続けた富豪の墓。

そして一年後、僕に恋人が出来た。
その時も老人に話を聞いた。
黒い石で出来た墓標の墓は、愛する人を守りたいが為に組織をぬけ、凶弾に倒れた殺し屋の墓。

そして6年の月日が流れ・・・。

僕は会社を立ち上げ、社長になった。
製薬会社を営むことにした。
沢山の薬を作って、病の人たちのために立ち上げた会社。
僕は嬉しくて、この事をまず始めにあの老人に言いたくて、僕は墓地に走った。


老人は冷たくなっていた。
まるでここが死に場所だというように、ある古めかしい墓の前で冷たくなっていた。
彼の手には手紙が握られていた。
送り先には、僕の名が記されていた。

「お前は沢山の人を幸せにしたね。
お前はもう立派な聖者だよ、この墓で眠ることを許そう。」

涙が止まらなかった。
僕はこの老人と、この聖地に眠る聖者達に生かされていたのだから・・・。

その後、この老人は、この墓に眠る偉大な女性の夫だと知った。
彼女を死から守ってやれなかったことを悔い、僕のようにこの墓場で命を捨てようとして、先代の墓守に出会ってここの墓守を任されたそうだ。

僕は「偉大な僕」を「偉大」にしてくれた、この偉大な墓守をこの聖者の墓場に葬った。

それから15年後・・・。
夜風が森の木々を揺らす。
静かな「聖者の墓場」に夜と共に来訪者が訪れる。
悲壮な顔をした一人の若者だ。
若者は枝の折れた木を見上げている。
彼のその手には、買ったばかりの真新しいロープが握られていた。
彼は震える手で枝にロープをかけた。
そして壊れた墓標を踏み台にして、絵だから下がるロープの先に輪を作り、そこに首を通した。
若者は台を蹴ろうと体を浮かせた。

と・・・

そこをすかさず僕は声をかけた。
「よせ。」
若者が僕の方を振り返る。
「誰だ!?」
ゆっくりと彼に近づき、僕は答えた。
「ここの墓守をしている者だ。」

戻る  あとがきへ